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ウィリアム・メレル・ヴォーリズの最期と功績。メンソレータムを広めた建築家の生涯

滋賀県の近江八幡という美しい街を歩いたことはありますか?そこには、どこか懐かしく、それでいて気品に満ちた洋館が点在しています。それらの建物を生み出し、日本の近代化に静かながらも計り知れない影響を与えた人物がいます。

彼の名前はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。

「建築家」として1,600件以上もの建物を設計し、「実業家」としてあのメンソレータムを日本に普及させ、さらには「宣教師」として人々の心に寄り添い続けました。

青い瞳を持ちながら、誰よりも日本を愛し、ついには日本へ帰化した彼の波乱万丈な生涯と、その穏やかな最期について、ゆっくりと紐解いていきましょう。

滋賀・近江八幡で迎えた、83歳の穏やかな終焉

1964年(昭和39年)5月7日。新緑が美しい季節、ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、自身が愛した近江八幡の自宅で、83年の生涯に幕を閉じました。

彼の晩年は、決して平坦なものではありませんでした。亡くなる約7年前の1957年の夏、避暑のために訪れていた軽井沢で、彼はクモ膜下出血という重い病に倒れます。一命は取り留めたものの、右半身に不随が残り、以後は近江八幡での療養生活を余儀なくされました。

しかし、病の床にあっても、彼の心は常に平和と人々の幸福を願っていました。近江八幡の街並みを眺め、寄り添う満喜子夫人と共に過ごした時間は、彼にとって「第二の故郷」で過ごす、静かで尊い安らぎの時だったのかもしれません。

亡くなる前年には、近江八幡市から名誉市民第1号として顕彰されました。アメリカからやってきた青年が、半世紀以上の時を経て、地域の人々にこれほどまでに愛され、必要とされる存在になっていた。その事実こそが、彼の人生の豊かさを物語っています。

建築の神様が伝えたかった「住む人の幸せ」

ヴォーリズの名を聞いて、まず思い浮かぶのは、日本全国に残る美しい建築物の数々でしょう。

彼は正規の建築教育を専門的に受けたわけではありません。しかし、独学で学んだその感性は、当時の日本に「住みやすさ」という新しい風を吹き込みました。

  • 大丸心斎橋店本館:華やかな装飾の中に、買い物客への配慮が光る傑作です。
  • 関西学院大学:広大なキャンパスに統一されたデザインは、学ぶ者の心を整えてくれます。
  • 豊郷町立豊郷小学校:かつて「東洋一の小学校」と呼ばれ、現在はアニメの聖地としても知られるこの場所には、子供たちの教育への情熱が詰まっています。

彼の建築哲学は非常にシンプルです。「建築の風格は、人間の人格と同じく、その外見よりもむしろ内容にある」。

見た目の豪華さよりも、そこに住む人がいかに快適か。風通しは良いか、家事の導線はスムーズか、家族が団らんできる暖炉はあるか。ヴォーリズの設計した住宅に一歩足を踏み入れると、どこか温かい包容力を感じるのは、彼が「人間の尊厳」を建物に込めていたからに他なりません。

メンソレータムを日本へ。近江兄弟社の誕生秘話

さて、多くの日本人が一度はお世話になったことがあるであろう、あの「ナースのマーク」でおなじみの塗り薬。実は、これを日本に広めたのもヴォーリズです。

彼が建築や宣教活動を行うための資金を自分たちで稼ぎ出すために設立したのが、後の「近江兄弟社」となる会社でした。そこでアメリカのメンソレータム社から販売権を得て、全国に広めていったのです。

当時の日本は、まだ衛生環境が十分ではありませんでした。ちょっとした切り傷や火傷、しもやけで苦しむ人々にとって、この万能薬はまさに救世主でした。

ヴォーリズが素晴らしいのは、その利益をすべて社会に還元した点です。

「利益は、社会をより良くするための道具である」

この信念のもと、彼は結核療養所(現在のヴォーリズ記念病院)を設立し、学校を創り、貧しい人々を助けました。まさに、近江商人の「三方よし」を地で行く活動を、青い目の青年が実践していたのです。

「一柳米来留」という名前に込めた、日本への覚悟

1941年、世界が大きな戦争へと突き進んでいく中、ヴォーリズは重大な決断を下します。それは、アメリカ国籍を捨て、日本へ帰化することでした。

当時の状況を考えれば、どれほど困難な決断だったかは想像に難くありません。敵国人として監視され、厳しい境遇に置かれるリスクを承知の上で、彼は日本に残ることを選びました。

そこで名乗った日本名が「一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)」です。

「一柳」は、愛する妻・満喜子夫人の実家の姓から。

そして「米来留」には、「米国から来たりて、日本に留まる」という、茶目っ気たっぷりで、かつ力強い誓いが込められていました。

彼は単なるゲストとして日本にいたのではありません。この国と運命を共にし、この国の人々と共に生きる。その覚悟が、戦後の日本の復興期においても、多くの人々に希望を与える光となったのです。

現代に生き続けるヴォーリズ・スピリット

ヴォーリズがこの世を去ってから60年以上が経過しました。しかし、彼の遺したものは、今も私たちのすぐそばに息づいています。

彼が設計した建物は、リノベーションされながらカフェや文化施設として活用され、今もなお人々を惹きつけています。また、彼が設立した近江兄弟社グループは、現在も教育や医療、福祉の分野で大きな役割を果たしています。

私たちが日々使うメンソレータムメンタームといった製品を手にするたび、そこには一人の宣教師が抱いた「隣人愛」の精神が宿っていることを思い出させてくれます。

彼が愛した近江八幡の街を歩くと、ヴォーリズの気配をそこかしこに感じることができます。建物一つひとつが、彼から私たちへの、時を超えた贈り物のように思えてくるのです。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズの最期と功績。メンソレータムを広めた建築家の生涯

ウィリアム・メレル・ヴォーリズという人の人生を振り返ると、そこには「壁を作らず、橋を架ける」という一貫した姿勢が見て取れます。

国境、宗教、職業の垣根を超えて、彼は常に「目の前の人が幸せになるにはどうすればいいか」を問い続けました。建築家としての美学も、実業家としての成功も、すべてはその問いに対する彼なりの答えだったのでしょう。

1964年に近江八幡で静かに息を引き取ったとき、彼はきっと、自分の人生に悔いはないと感じていたはずです。なぜなら、彼が日本に蒔いた愛の種は、数えきれないほどの美しい建物となり、健やかな子供たちの笑顔となり、そして今を生きる私たちの心の中に、確かな温もりとして残り続けているからです。

もしあなたが、人生の岐路に立ったり、自分の仕事に迷いを感じたりしたときは、ぜひ近江八幡を訪れてみてください。ヴォーリズが遺した名建築の数々が、あなたに「大切なものは何か」を、優しく語りかけてくれるに違いありません。

一人のアメリカ人が、日本人以上に日本を愛し、駆け抜けた83年。その輝きは、これからも色あせることなく、私たちの進む道を照らし続けてくれることでしょう。

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