オニツカタイガーという名前を聞くと、洗練されたデザインと日本らしい職人技を思い浮かべる人は多いはず。でもその裏には、戦後の混乱期に一人の青年が抱いた「スポーツで人を幸せにしたい」という強い想いがありました。今回は、オニツカタイガーの創業者・鬼塚喜八郎の人生と、その理念から生まれたブランド誕生の物語を紐解いていきます。
戦後の神戸で芽生えた「スポーツによる再生」の志
鬼塚喜八郎が生まれたのは1918年。第二次世界大戦が終わり、彼が神戸に戻ったとき、街は焼け野原になっていました。目の前に広がっていたのは、夢や希望を失った若者たちの姿。彼は思いました。「この国を立て直すには、若者の心と体を元気にしなければならない」と。
そこで鬼塚が選んだ手段が「スポーツ」でした。スポーツには、人を育て、前向きに変える力がある。そう信じた彼は、戦後の荒廃した社会で、靴づくりを通じて若者を励まそうと考えたのです。まさに、後のブランド理念「健全な身体に健全な精神を(Anima Sana In Corpore Sano)」の原点です。
靴づくりの素人から始まった挑戦
しかし、鬼塚には靴づくりの経験も技術もありませんでした。手探りの状態から、地元の靴問屋を訪ね、職人に学びながらスタートします。資本金30万円、社員わずか2名。1949年、神戸で「鬼塚株式会社」を設立し、最初に手掛けたのは高校生向けのバスケットボールシューズでした。
当時の日本では、スポーツ専用シューズという概念はほとんどなく、運動靴は「足袋を改良したもの」程度。試作品を見た監督から「ワラジみたいだ」と言われたこともありました。それでも鬼塚は諦めません。選手の動きを観察し、滑らない靴底を求めて試行錯誤を重ねた結果、「タコの吸盤」をヒントにしたグリップソールを開発。この発想が、のちのオニツカタイガーの原点となります。
やがて改良されたシューズは、高校バスケットボール大会で優勝チームに採用され、一気に評判が広まりました。鬼塚の「若者のための靴づくり」という想いが、現実の成果となって表れた瞬間です。
ブランド名「オニツカタイガー」の誕生
鬼塚が作った靴には、当初「虎印」のマークが付けられていました。これは工場の職人の遊び心から生まれたものでしたが、鬼塚はその「虎」の象徴性に惹かれます。強さ、俊敏さ、しなやかさ――まさにスポーツにふさわしいイメージです。
やがてブランド名は「鬼塚」と「虎印」を合わせて「Onitsuka Tiger(オニツカタイガー)」に。虎のマークは単なるデザインではなく、「どんな困難にも負けない」という創業者の精神そのものを表しています。
世界へ羽ばたく「Mexico 66」誕生
1950年代に入ると、鬼塚はランニングシューズの開発にも挑戦します。マラソン選手の意見を直接聞き、軽さと耐久性のバランスを追求。スポーツ現場に寄り添う靴づくりが評価され、オニツカタイガーの名前は全国に浸透していきました。
そして1966年、ブランドの象徴となる「Mexico 66」が誕生。アスリートの足を支えるだけでなく、視覚的にも印象的な“Tiger Stripes(虎のストライプ)”デザインを初めて採用したモデルです。1968年のメキシコシティ・オリンピックに向けて開発されたこの靴は、世界中の選手の注目を集めました。
この時期、オニツカタイガーは国内だけでなく、アメリカ・ヨーロッパなど海外市場にも進出。競技者が実際に履いて成果を上げたことで、国際的な信頼を得ることに成功します。
ASICS誕生とオニツカタイガーの休眠期
1977年、鬼塚株式会社は他の2社と合併し、「ASICS(アシックス)」として新たなスタートを切ります。ASICSという社名は、ラテン語の「Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神を)」から取られたもの。つまり、鬼塚が掲げてきた理念そのものが社名に刻まれたのです。
しかし、ブランド「オニツカタイガー」は合併を機に一時休眠へ。競技用シューズ市場ではASICSが前面に立ち、タイガーはしばらく歴史の表舞台から姿を消します。けれども、その名前とデザインを覚えている人々の記憶から、ブランドの魂が消えることはありませんでした。
2000年代の復活——クラシック×モダンの融合
2002年、ASICSはオニツカタイガーを「ライフスタイルスニーカー」として復活させます。きっかけは、世界的なスニーカーブーム。レトロでクラシックなデザインに再び注目が集まり、オニツカタイガーの復活は瞬く間に話題となりました。
再始動したブランドは、単なる復刻にとどまりません。創業時から受け継がれるクラフトマンシップに加え、現代的なデザイン感覚を融合。日本製にこだわった「NIPPON MADE」シリーズや、ハイファッションとのコラボレーションなど、新たな文化的価値を創造しています。
こうしてオニツカタイガーは、スポーツとファッション、伝統と革新をつなぐブランドへと進化しました。
鬼塚喜八郎が遺した理念と今に続く精神
鬼塚喜八郎は2007年にこの世を去りましたが、彼が残した理念は今もASICSとオニツカタイガーの根幹に生きています。「スポーツを通じて人を育て、社会を明るくする」――それは単なる企業理念ではなく、実際に製品や活動の中に息づく哲学です。
オニツカタイガーの靴は、見た目の美しさだけでなく、「人を前向きにする靴」という精神が宿っています。鬼塚が高校体育館で若者の足元を見つめ続けた姿勢は、今もブランドのDNAとして受け継がれているのです。
オニツカタイガー創業者の理念が導く未来
今、オニツカタイガーは世界中のファッションシーンで再評価されています。海外セレブが愛用し、ストリートでも高い人気を誇る一方で、ブランドの根底にあるのは創業時から変わらない「人を支える靴づくり」という信念。
スポーツで培った機能性、日本的な美意識、そして鬼塚喜八郎の理念。これらが融合しているからこそ、オニツカタイガーは“過去の名ブランド”にとどまらず、今も新しい世代に受け入れられているのです。
創業から70年以上が経った今も、鬼塚の言葉「スポーツを通じて若者の未来を拓く」は色あせません。オニツカタイガーの歴史は、単なる企業の成功物語ではなく、「信念が時代を超えて人を動かす」ことを証明する物語なのです。


