オニツカタイガーという名前を聞くと、「おしゃれな日本のスニーカー」「海外でも人気のブランド」というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。でも実は、このブランドの始まりには、戦後の日本を支えた深い物語があります。今回は、オニツカタイガーの発祥地や誕生秘話、そして今も世界で愛され続ける理由をじっくり解説します。
戦後の神戸で生まれた「オニツカタイガー」の原点
オニツカタイガーの発祥地は、兵庫県神戸市。創業者の鬼塚喜八郎(おにつか・きはちろう)がこの地で靴作りを始めたのは1949年のことです。戦後まもない日本は、街も心もまだ荒れた時代。鬼塚氏は「スポーツによって青少年の心と体を育てたい」という強い信念を持って、神戸で小さな会社「鬼塚株式会社」を立ち上げました。
最初は社員たった2人、資本金30万円の小さなスタート。しかし、その情熱は誰にも負けなかったと言われています。鬼塚氏は靴の製造技術を学ぶため、職人のもとで修行を重ね、ゼロから「スポーツシューズ」という未知の分野に挑戦しました。
最初の一足は“たこの吸盤”から生まれたバスケットシューズ
オニツカタイガーの第一歩は、バスケットボールシューズの開発でした。1950年、鬼塚氏は「激しい動きでも滑らない靴を作りたい」と考え、ふと食卓にあった“ゆでだこ”を見てひらめきます。「たこの吸盤のように地面をつかむ靴底にすれば、コートで滑らないのでは?」――この発想から生まれたのが、“サクションカップ構造”を持つ初代シューズでした。
この独創的な靴は、すぐに高校バスケットボール界で注目を浴び、口コミで広がります。やがて「タイガー印のバスケットシューズ」として評判を呼び、鬼塚の名前は神戸から全国へと知られるようになりました。
「Tiger(虎)」に込めた想いとブランド名の誕生
1950年代後半、鬼塚氏は自社の靴を象徴するブランド名を考えました。選ばれたのが「Tiger」。強さ・俊敏さ・勇気の象徴である虎のように、スポーツを通して人々を元気にしたいという願いを込めたのです。
こうして「Onitsuka Tiger(オニツカタイガー)」というブランドが誕生しました。単なるメーカー名ではなく、「挑戦」「誇り」「日本の技術」を象徴するシンボルとなり、ロゴに描かれた力強い書体とともに、ブランドアイデンティティが確立されていきました。
革新と挑戦の連続 ― ランニングシューズから世界へ
オニツカタイガーの成長は止まりません。1950年代後半から1960年代にかけて、バスケットボール以外の競技にも挑戦します。ランニング、マラソン、バレーボール、レスリング、陸上競技など、あらゆる種目に合わせた靴を開発。選手の声をもとに、改良を重ねていきました。
特に1953年には、長距離ランナー向けのランニングシューズを発表。軽さとクッション性、足へのフィット感を追求し、競技用シューズとしての完成度を高めます。その後、日本代表選手団の公式シューズとして採用されるなど、オニツカの技術力は国内外で高く評価されていきました。
アメリカ進出と“ナイキ誕生”に繋がる出会い
オニツカタイガーの歴史を語る上で欠かせないのが、アメリカ人学生フィル・ナイトとの出会いです。1962年、彼は卒業旅行で日本を訪れ、神戸でオニツカのシューズを見つけます。その品質と価格に感動したナイト氏は、帰国後すぐに鬼塚喜八郎と代理店契約を結びました。
彼が立ち上げた会社が、後の「NIKE(ナイキ)」です。つまり、オニツカタイガーの輸入販売からナイキの歴史は始まったのです。この出来事は、オニツカが世界に羽ばたくきっかけとなり、日本ブランドとしての存在感を一気に高めました。
1977年、アシックス誕生 ― そして再び蘇る“タイガー”
1977年、鬼塚株式会社は他のスポーツメーカーと合併し、現在の「ASICS(アシックス)」が誕生します。「健全な精神は健全な身体に宿る」という理念のもと、スポーツ総合ブランドとして成長を続けました。
しかし、オニツカタイガーという名前は消えることなく残されます。長年のファンに愛され続け、2002年に“復活”。スポーツシューズとしての機能性はそのままに、レトロデザインを生かした「ライフスタイルブランド」として再デビューを果たしました。
このリバイバルが世界的なスニーカーブームと重なり、オニツカタイガーは再び脚光を浴びます。映画『キル・ビル』でユマ・サーマンが着用したことも人気を後押ししました。
神戸という発祥地が持つ意味
神戸は、オニツカタイガーにとって単なる出発点ではありません。戦後の荒廃した都市から立ち上がり、若者の未来を支える靴を作った――その物語が、この街の象徴と重なっています。国際港湾都市・神戸は、早くから海外との文化交流が盛んな場所であり、オニツカが世界進出できた背景にも、この土地の国際的な空気が影響していました。
今でも神戸には、オニツカタイガーの直営店や記念碑的スポットがあり、「ここから世界へ」というブランドの原点を感じられる場所となっています。
“Made in Japan”の誇りと哲学
オニツカタイガーが世界中で愛される理由の一つは、その“日本らしさ”にあります。丁寧なものづくり、繊細な履き心地、耐久性、そしてデザインの美しさ。これらはすべて、日本の職人文化と真面目さに根ざしています。
また、創業者の理念「スポーツによって人々を幸せにする」という思いも受け継がれています。単に靴を売るのではなく、履く人の人生に寄り添い、前向きな気持ちを後押しする。それがオニツカタイガーの本質なのです。
時代を超えて進化するブランドの魅力
2000年代以降、オニツカタイガーはファッションブランドとしても大きく進化しました。スニーカーだけでなく、アパレルやバッグなどのアイテム展開も拡大。日本発ブランドとしてのデザイン力とクラフトマンシップが、世界の若者から支持されています。
一方で、ブランドは「原点回帰」を大切にしています。創業当時のモデルを復刻しつつ、現代の素材やテクノロジーを融合。たとえば代表作「MEXICO 66」や「LAWNSHIP」などは、当時のデザインを活かしながら現代的な履き心地へと進化しています。
オニツカタイガーの発祥地と誕生秘話が教えてくれること
神戸で生まれたオニツカタイガーは、戦後の復興期に“希望の象徴”として生まれ、やがて世界的なブランドへと成長しました。その背景には、創業者の信念、技術革新、そして「日本のものづくり」に対する誇りがあります。
今、オニツカタイガーを履くことは、単なるファッションではなく、歴史と文化、そして日本人の精神を身にまとうことでもあります。靴を通して人を元気にする――その理念は、75年以上経った今も変わらず息づいているのです。
オニツカタイガーの発祥地である神戸から始まった物語は、今も世界中で続いています。あなたが履く一足にも、そんな“日本発の情熱”が込められているかもしれません。


